鎧神社の御朱印とご利益

鎧神社

鎧神社(よろいじんじゃ)は新宿区北新宿にある神社。日本武命(やまとたけるのみこと)や平将門の鎧がこの地に埋められたとされています。

鎧神社の拝殿

鎧神社は新宿区北新宿にある神社。JR総武線「大久保駅」や「東中野駅」から中間の位置にあり徒歩10~15分ほど。

日本武命(やまとたけるのみこと)や平将門の鎧がこの地に埋められたといわれ、神社の名前の由来となっています。

境内は広々として開放感があり、新宿の繁華街がすぐ近くにあるとは思えない穏やかな空気。松やイチョウの大木にも癒やされます。

社殿は戦争で焼失し建て直されたものですが、狛犬や境内社・天神社にある「狛犬型庚申塔」は江戸時代から残っている貴重な文化財です。

鎧神社の御朱印

御朱印

初穂料(300円)。社務所にて

鎧神社の御朱印

鎧神社の御朱印帳

鎧神社オリジナル御朱印帳があります。

藍染の表紙。中の和紙は鳥の子紙を使っている拘りの逸品。

初穂料は3,000円と少々お高いですが、シンプルでとてもカッコいいと思います。

数量限定(再生産の予定も未定)とのことなので、いつまであるかはわかりません。

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鎧神社の御朱印をいただける場所と時間

鎧神社の社務所

御朱印の受付は拝殿右側の社務所にて。

受付時間は、10:00 ~ 17:00

不在のことも多いようです。「参拝したら御朱印も確実にいただきたい!」という方は、事前に電話で確認することをおすすめします。

03-3371-7346(タップで発信)

鎧神社のご利益

鎧神社のご利益は、商売繁盛、開運招福、厄除けなどです。

御祭神

  • 日本武尊(やまとたけるのみこと)
  • 大巳貴命(おおなむちのみこと)
  • 少彦名命(すくなひこなのみこと)
  • 平将門公(たいらのまさかどこう)

鎧神社の御由緒

はじまり

鎧神社のはじまりは898~929年ごろ、醍醐天皇の時代です。円照寺(圓照寺)の鬼門鎮護(北東を守る)ために作られたと伝えられているようです。※1

円照寺(圓照寺)は、貞崇層都(真言宗のお坊さん)が薬師如来像を祀って建立したお寺で、今でも鎧神社の南西の位置にあります(圓照寺から見ると鎧神社は北東(鬼門)にある)。

圓照寺の位置(地図)

鎧にまつわる伝説

また、鎧神社が作られる以前から、この地(つまり北新宿3丁目)には伝説が残っています。

武の神様・日本武命(やまとたけるのみこと)が天皇の命令で東国(今の関東・甲信地方一帯)の平定に向かったとき、この地(北新宿3丁目)に甲冑一式を埋めたそうです。

そして、もう1つ伝説があります。

940年。国の支配を巡って、関東(当時は坂東)と関西(都・京都界隈)が激しくやりあっていた頃のことです。関東を支配し力をつけていた平将門(たいらのまさかど)が、関西側についた藤原秀郷(ふじわらのひでさと)に討伐されました。

947年。将門の死を悲しんだ北新宿3丁目の人々が、将門の鎧をこの地に埋めたといいます。

この話には続きがあります。

藤原秀郷は将門討伐をした後、重病に侵され苦しんだときに「これは将門の祟りに違いない※2」と考え、円照寺(薬師如来が本尊なので、病気治癒にご利益)にお参りし、将門の鎧を埋めて祠(ほこら)を建てて霊を弔(とむら)いました。そうするとたちまち病気が治ったそうです。

以来、人々は平将門の御神徳に恐れ、村の守り神として崇拝してきたと伝えられています。こうして「鎧」という名前がついたのだと考えられます。

このような歴史に思いを馳せて参拝してみるのも、神社巡りの醍醐味の一つではないでしょうか。

※1.明治時代に神仏分離が施行されるまでは、神道と仏教は互いにつながっていました。

※2.近代になっても「将門の祟り」と恐れられる事件が数多く起きています。

鎧神社の境内・見どころ

鳥居と社号碑

鎧神社の鳥居と社号碑

参道

鎧神社の表参道

境内は広々として開放感があり、空が広く感じます。右手には隣接するよろい保育園。

神輿庫

鎧神社の神輿庫

神楽殿

鎧神社の神楽殿

拝殿の右側には神楽があります。

狛犬

鎧神社の狛犬

拝殿前には正面を向いた一対の狛犬。1936年(昭和36年)奉納ということですから、第二次世界大戦前のものになります。

鎧神社の狛犬・左 鎧神社の狛犬・右

かなり大きな狛犬です。笑っているように見えます。

松の木と兜松の碑

鎧神社の松

拝殿の右脇に松の木と石碑が立っています。

鎧神社の松

かつて境内には兜松と呼ばれる大きな松があったのですが、明治時代に台風で倒れてしまったそうです。その兜松を偲ぶ石碑。

鎧神社の社殿と松

現在植えられているのは比較的新しめのように見えます。拝殿とマッチしていて非常に雰囲気が良いです。

社殿

拝殿

鎧神社の社殿

茶色を基調とした渋い社殿です。

鎧神社の社殿・社号額と鈴 鎧神社の社殿を斜め横から

廊下

鎧神社の社殿・石の間

本殿

鎧神社の社殿・本殿

一部鉄筋コンクリート製のようです。

裏参道・鳥居

鎧神社の裏参道の鳥居

社殿の左奥には裏参道が続いており、出入り口に鳥居が立っています。

鎧神社の裏参道の狛犬・左 鎧神社の裏参道の狛犬・右

1836年(天保7年・江戸時代)に奉納された狛犬

鎧神社の裏参道から社殿を見た画

鎧神社の境内社

摂社・天神社

天神社の鳥居と社殿

神社の入り口の左側にはもう1つ鳥居が立っており、境内社の「天神社」があります。御祭神は菅原道真公です。

天神社の社殿

同じ北新宿エリアにある成子天神社の元がこの天神社。そのため「元天神」とも呼ばれます。

社殿の両脇には珍しい「狛犬型庚申塔」があり、新宿区指定有形民俗文化財に指定されています。

狛犬型庚申塔・左 狛犬型庚申塔・右

1721年(享保6年)に造られた狛犬型庚申塔。左が吽形像(メス)、右が阿形像(オス)。

狛犬型庚申塔の台座・庚申

パッと見は普通の狛犬のように見えますが、台座に「庚申」「供養」と彫られているのが確認できます。

庚申塔とは?

庚申塔とは、庚申信仰に基づいて建てられる石の塔のことです。

庚申信仰の教えの中で、「60日に1回のサイクルで庚申の日があり、その日に寝てしまうと体の中にいる三尸虫(さんしちゅう)という悪い虫が働いて寿命が縮まる」というものがあります。

だから、その日はみんなで集まって徹夜する風習があったのです(庚申講・こうしんこう)。

そして、庚申講を3年間(18回)続けると記念に庚申塔を建てます。塔を建てるとき、同時に供養を伴うことから「庚申供養塔」とも呼ばれることもあります。

鎧神社の狛犬型庚申塔

話は戻って、鎧神社の狛犬型庚申塔です。 台座に「庚申」「供養」という文字が刻まれていました。

つまり、この地域に居た昔の人達は、「庚申信仰に基づいて庚申講をやり、3年18回ごとの記念に供養しつつも庚申塔を建てていたのだな」ということがわかる(推測される)わけです。

データもない、文書もろくに残っていない時代、人々がどんな暮らしを送っていたのか分析するためには、このような資料、物品に頼るしかありません。だからとっても貴重なのです。

私は初めてこの狛犬(型庚申塔)を見たとき、狛犬型庚申塔?なにそれ?狛犬じゃないってどういうこと?という感じでした。調べてみて上述のように現在は捉えることにしています。

末社・稲荷神社、三峯神社、子の権現

鎧神社の境内社と鳥居 鎧神社の境内社・正面

3つの神様が合祀されている末社。裏参道(社殿の左側)の先にあります。

鎧神社の境内社の神狐

鎧神社へのアクセス

最寄駅。電車での行き方

最寄駅はJR総武線「大久保駅」で徒歩10分ちょっと。

同じく総武線「東中野駅」からも同じくらいの距離です。

鎧神社の参拝情報

主祭神日本武尊
大巳貴命
少彦名命
平将門公
所在地東京都新宿区北新宿3-16-18【地図を開く】
電話番号03-3371-7346(タップで発信)
アクセスJR「大久保駅」より徒歩10分
都営大江戸線・JR「東中野駅」より徒歩15分
御朱印300円。社務所にて
ご利益商売繁盛、開運招福、厄除け、他
例祭9月15,16日
社務所9:00 ~ 17:00
公式サイト鎧神社

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